7.天皇・宮廷人のリゾート地、交野遊猟と桜狩り

「交野ヶ原」は、枚方市、交野市に渡るなだらかな丘陵で、天野川より北、生駒山系(の北端)の西、石清水八幡宮の小さな山より南に広がる枚方丘陵一帯を指して呼ばれたらしい。桓武天皇が延暦2年(783)に行幸して鷹狩りをされて以来、平安貴族たちに遊猟地として愛され、また特に春には桜狩りが楽しまれた
今でも天皇以外は入ってはならないということから禁野(「天皇以外はこの地に入る事を禁ず」の場所)の地名が残っている。遊猟は単に狩を行うだけではなく、礼儀の場であり、遊宴の場でもあった。淀川の中流地帯は宮廷人の行楽地となった。

またや見ん かた野の御野の 桜狩り 花の雪散る 春のあけぼの
      藤原俊成 (新古今和歌集)

この歌は、交野の名が出てくる歌の中で、最も有名なものである。

桓武天皇が広く山野を駆けて鳥獣を楽しんだとされ、交野への行幸は十数回に及んでいる。天皇の遊猟がある度に、その下の皇族や宮廷人達も続々と交野が原に来ることになった。その結果として「交野」が文学に数多く残ることとなったのである。また、各地の地名も今に残るものが少なくない。
藤原俊成の歌でもある”桜の名所“と”天の川”は歌枕にもなっている。


妙見川原の桜

桜狩りを謳う立て札

今も昔と同じ風景

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(参考資料:交野町史1&2)