4.山麓の文化栄えた 大陸渡来人の里
交野地方の最も古い祖先は物部氏の一族であるが、これは弥生時代(約2000年前)から天野川沿岸の稲作地で大きい勢力を 持っていた。
古墳時代なると、大陸(朝鮮)の人々がぞくぞくと日本内地に移住してきた。その人たちは当時こちらにない特殊技術をもっていたので、国内あちこちに土地を与えて集団のまま居住させた。
交野地方では養蚕、機物などの技術をもった人々が、寺、神宮寺、倉治、津田などの山麓一帯、稲作に適さないところを択んで村落を営んだ。当時の機物(はたおり)は文化程度の高い人たちの仕事で、そのような人々が住んだ村の名前などには「はた」の音が多く使われている。倉治の機物神社(右 写真)もしかりである。
山麓一帯に南から北に続くこの機織り部落は、この地方で先進文化をもった人々の居住地となり、その総首領は交野忌寸の姓を与えられて、天野川地方の豪族にも劣らなかったのであろう。
彼らはその居住した山麓に点々と古墳を残し、その中でも倉治関西電力会社敷地内にあった丸山古墳は最も大きく、地位の高い人の副葬品が出ていることからも裏づけられる。
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(参考資料:交野町史1&2)
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